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岡田茂吉が手がけた映画館・永代活動写真株式会社

論考
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こんにちは、HIROROです。
新年明けましておめでとうございます。
今年も岡田茂吉大学を何卒よろしくお願いいたします。

さて、2024年の1回目の投稿は映画館についてです。
年末年始で少し時間の余裕があり調査できましたので、
調査結果を皆さまに共有させていただきます。

まず、岡田茂吉は熱心な映画ファンとして知られ、
大正二年(1913年)10月ころから映画館経営に参画したとされます。
『東方之光』上巻(175ページ)では次のように記されています。

 そこで映画事業を興して西洋の優れた作品を中心に、
 その普及を図ろうと、映画館の経営を計画し、時を待っていたのである。
 すると、映画館建設の権利は手に入れたけれども、
 資金が足りなくて困っているという人に会った。
 岡田商店の店主として成功し、繁盛していた
 大正二年(一九一三年)一〇月のことである。
 何度か話し合い、検討の結果、隅田川の河口にある
 永代橋の近くに、その橋の名をとって「永代活動写真株式会社」という、
 資本金二万五〇〇〇円の会社を設立することとなった。
 当初は共同経営ということであったが、教祖が資本金の半分を負担したので、
 専務取締役となり、土地も入手し、いよいよ建築に取りかかったのである。

また『東方之光』上巻(177ページ)では岡田茂吉が経営から
退いた時期が不詳とされていますが、今回明らかになったので
時系列に沿って解説してまいります。

 教祖が、いつごろ、どのような形で映画館の経営から
 手を引くようになったか、その時期や経緯については明瞭ではない。

まず官報(大正2年(1913年)9月30日付)によると
永代活動写真株式会社の設立は大正2年(1913年)8月20日です。

官報 1913年09月30日 – 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

取締役として、倉山昌親、岡田茂吉、米山利之助、説田証吉、石田豊吉、
監査役として木村虎二郎、新宮凉園の名が連なっています。

大正3年(1914年)の『帝国銀行会社要録』でも同じ取締役のメンバーですが、
監査役は新宮凉園、三須仁太郎、満島惣吉の3名となっています。

帝国銀行会社要録 : 附・職員録 大正3年(第3版) – 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

その後、大正4年(1915年)の『日本全国諸会社役員録』でも同様のメンバーですが、

日本全国諸会社役員録 第23回(1/2) – 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

大正4年7月17日付の官報にて、同年6月27日に本店所在地の移転と
(京橋区本八丁堀五丁目六番地→京橋区浜町八番地)
岡田茂吉と石田豊吉の取締役辞任、田中儀三郎と酒井泰の取締役就任が掲載されてます。

官報 1915年07月17日 – 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

その後も同社は取締役変更を繰り返しているようですが、
大きな動きがあったのは大正8年(1919年)8月21日付の官報でして、
株主総会の決議によって同年6月28日に解散することになりました。

官報 1919年08月21日 – 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

また、大正10年(1921年)1月13日付の官報では、
前年(大正9年)の5月20日に会社の清算が完了したことが記されています。

官報 1921年01月13日 – 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

なお、設立メンバーの倉山昌親氏は同時期に富山警察署長や水産品評会長で
同姓同名の人物がHITしますが詳細は不明です。
倉山氏は大正7年(1918年)6月4日に死去したようで、
その影響で会社も翌大正8年に解散となったのかもしれません。

官報 1918年07月24日 – 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

ちなみに米山利之助氏は金山銀行頭取で同姓同名の人物がいます。
米山利之助 (第4版) – 『人事興信録』データベース (nagoya-u.ac.jp)

※トップ画像は『東方之光』上巻、177ページより引用

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