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岡田茂吉とビジネス

論考
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今回のテーマは「岡田茂吉とビジネス」です。

過去ブログ(1分で分かる岡田茂吉の生涯)の通り、
実業家時代が長かった岡田茂吉ですが、
具体的にどのようなビジネスを行っていたのか見ていきたいと思います。

①光琳堂
時期:1905年~1906年
業種:小間物小売商

岡田茂吉の父・喜三郎が明治38年(1905年)に亡くなったため、
父の遺産も元手に桶町(現・東京都中央区八重洲2丁目辺り)の
小間物屋の権利を譲り受け事業をスタート
しました。
(小間物屋:婦人向け化粧品や櫛(くし)・簪(かんざし)・笄(こうがい)などを扱う店)
岡田茂吉は婦人向けの商品には当然不慣れでしたので、
自身の母親・登里に色々と教えてもらいながら、勉強しつつ商売を行ったそうです。
この光琳堂は次項の岡田商店立ち上げ後も継続していましたが、
時期は不詳ですが、途中で雇用しました高橋うめ(喜三郎が生前行きつけていた床屋の娘)に
無償で権利を譲ったそうです。

②岡田商店
時期:1907年~1931年
業種:卸問屋

1907年に岡田茂吉は最初の妻・相原タカと結婚しまして、
京橋区南槇町(現・東京都中央区八重洲2丁目)の自宅を店に改めまして、
卸問屋「鼈甲・金属装身具 卸商 岡田商店」を立ち上げ
ました。
ここで岡田茂吉は櫛・簪・笄のデザインを自身で行い、
それを職人に作らせて販売するというビジネスモデルに着手しました。
岡田茂吉は過去に東京美術学校(現・東京芸術大学)に入学し(病気で中退)、
一時期は蒔絵の制作も行っていましたので、この分野で力を発揮しまして、
博覧会で銅賞を受賞するなど結果を残したようです。
その後、百貨店の三越との取引も開始するなど事業は拡大しまして、
特に大正5年(1916年)に特許申請しました「旭ダイヤ」は爆発的なヒット商品となりました。
同じ頃、岡田商店を北槇町(現・東京都中央区八重洲1丁目)に移転し、
更なる拡大をみせるのですが、第一次世界大戦が終戦となった
翌年の大正8年(1919年)に取引先の倉庫銀行が突如倒産してしまいます。
これによって諸々の家財を差し押さえられたり、莫大な借金を背負うことになりまして、
同年には妻のタカも亡くなるなど不幸が重なります。
事業立て直しのため大正9年(1920年)に岡田商店を株式会社にしまして、
資金を調達し乗り切ろうとしましたが、同年に世界恐慌が発生します。
加えて大正12年(1923年)には関東大震災が起こり大打撃となりました。
二番目の妻・よ志との間に生まれた長男も早世するなど不幸が重なったため、
岡田茂吉は宗教・大本の信仰を深め、徐々に事業を番頭に任せるようになり、
昭和6年(1931年)には正式に営業権を譲ることとなりました。

③永代活動写真株式会社
時期:1913年~1918年頃
業種:映画館経営

期間は前項の岡田商店と重なっていますが、
熱心な映画ファンだった岡田茂吉は実は映画館経営も行っていました。
大正2年(1913年)に映画館建設の権利は得たものの、
資金が足りなくて困っているという人がいまして、
岡田茂吉は資本金の半分を負担し、隅田川の河口にある永代橋の近くに
「永代活動写真株式会社」を設立、専務取締役に就任しました。
ただし、時期は不詳ですがこちらの経営からはすぐに手を引いたようです。
(永代館自体は大正7年(1918年)頃まで営業していたそうです)

④岡田鉱業所
時期:1935年~1951年頃
業種:鉱山経営

こちらは立教後に並行して行われましたが、
信徒の中根由紀子の夫・康喜が経営していた大吉鉱山(山形県)が、
資金繰りに行き詰ったため岡田茂吉が融資したことがきっかけでした。
立教後も宗教は弾圧を受け、前々項の岡田商店の借金も抱えたままなど、
経済的に苦しかったため資金獲得の方策の一環だったと考えられています。
また表向きの職業を「鉱山経営」として「岡田鉱業所」の看板を掲げて、
官憲の監視をそらす期待もあったようです。
岡田鉱業所が経営した鉱山は確認される限り以下の4つがあります。

・大吉鉱山(山形県)
・下呂鉱山(岐阜県)
・森吉鉱山(秋田県)
・水上鉱山(群馬県)

ちなみに、この岡田鉱業所に入社した小野田松造ですが、
元々東和鉱業にて鉱山技師として勤務した経歴を買われ、
入社と同時に森吉鉱山(秋田県)の所長となりました。
岡田茂吉から直に指導を受ける機会もあった小野田松造は
群馬の公映会会長となりのちに救世真教として独立します。

以上の①②③④を年表に纏めますと以下の通りです。

イラスト:きーろ様(Twitter*@ki_ro_iroiro)

■参考文献
世界救世教教祖伝編纂委員会『東方之光』上下巻(エムオーエー商事、1983年)
梅原正紀・水野義之『新宗教の底流をさぐる 秘儀と霊能の世界』(紀尾井書房、1980年)

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