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世界救世教における善言讃詞の変遷

論考
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今回のテーマは「世界救世教における善言讃詞の変遷」についてです。
大学の宗教系ゼミであれば卒論レベルの内容です(言いすぎ!?)。
もしかしたらHIRORO自身、今後追加調査を行って、
論文として学術雑誌に投稿するかもしれませんが、
今回は現時点の調査結果(中間報告)として書かせて頂きました。

まず「善言讃詞」は1935年に初めて制定され、
世界救世教では感謝祭など各儀式におきまして、
神前奏上祝詞として信者の皆様で奏唱されるものですが、
(HIROROも毎日朝晩の2回唱えています)
実は立教当時から少しずつ文言が変化してきました。

今回、参考文献として以下の資料を使用しました。
・『岡田茂吉全集 著述編 第一巻』(1994年) ※内容は1935年のもの
・『善言讃詞のてほどき』(1972年)
・『祈りの栞』(1993年)
一部は明確な時期は不詳ですが大きく3回の変化が確認されます。

①1950年・「救世主(メシヤ)とならせ」の追加
②1970年頃・仏教用語を修正
③1990年頃・「明主之御神」に修正

「善言讃詞」を56パートに分割しその変遷を表にまとめてみました。
黄塗部(赤字箇所)が変更点となります。

頑張って要点のみをまとめるよう心掛けましたが、
今回はボリュームが多くなってます(ごめんなさい)。
それでは順番に見ていきます。

①1950年・「救世主(メシヤ)とならせ」の追加

一点お断りしておきますと、表の左から2番目(1950年)のものは、
1番左(1935年)のものにNo.6(「救世主とならせ」)をHIROROが追加しました。
もしかしたら他の場所も微修正されていたかもしれませんが、
1950年当時の現物を入手できなかったためご容赦下さい。
ここは岡田茂吉在世時に唯一変化(追加)された箇所だそうです(※後述の渋井嘉丸氏の認識では)。

追加された理由は岡田茂吉の高弟・中島一斎が突如死去したためで、
当時の資料中にも以下の記載があります。

「祝詞にも、応身弥勒と化し、メシヤとならせと入れた。」
(「中島氏帰幽に関するお言葉」(昭和二十五年二月))

②1970年頃・仏教用語を修正


岡田茂吉を支えた渋井総斎の子、渋井嘉丸が記した
『澁井嘉丸文書(未修正版)』(私家版、出版年不詳)によると次の通りです。

「現在信徒の方々がご神前で奏上されている善言讃詞は、
 原作と違う箇所が七カ所もある。(中略)「善言讃詞には
 仏の用語が多く、このまま復活するのはどうか」という
 意見も述べられ(中略)「しかし明主様の作られた経典を
 われわれが変えるのはどうか」という反対意見もあったが、
 結果的に改訂をして復活するということに決定した」

表を見ますと変更点は軽微なものを含めますと12箇所ありますが、
多宝佛塔→神殿玉楼や七堂伽藍→救世の神館など、
確かに仏教用語が修正されたことが確認できます。

③1990年頃・「明主之御神」に修正


ここでは「救世の真神」と「おしえみおやぬしの神」が
いずれも「明主之御神」に修正されています。
世界救世教総長をつとめた川合輝明が変更したという
記事(https://9205.teacup.com/hirunosekai/bbs/2577)も
見受けられますが詳細は不明です。

■まとめ
以上、善言讃詞がどのように変化してきたかを振り返りました。
後半は変化した理由にまで踏み込めず不十分な内容だったかもしれません。
また今回取り上げた以外にもNo.43(「仁愛の御手に帰一され」)が
無いバージョンも存在するという記事(http://moifth.blog10.fc2.com/blog-entry-134.html)もあり、
もう少し調査を継続していきたいと思います。

コメント

  1. ぱぱさん より:

    貴重な資料をありがとうございます。
    ただ、もっと変遷を重ねており、「迦陵頻伽」→「七堂伽藍」
    御神名も「日月地大神(みろくおおかみ)」を使用していた時代もあります。
    他、多数あります。

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