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浄霊の変遷

論考
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こんにちは、HIROROです。
今回は浄霊の変遷について解説したいと思います。

世界救世教とその分派教団では「浄霊」という、
いわゆる「手かざし」で霊を浄めて幸福に導きます。

※MOAでは「岡田式浄化療法」、また分派教団ではないですが真光系では「手かざし」と呼称

浄霊(東方之光)
浄霊(世界救世教いづのめ教団)
浄霊(神慈秀明会)
岡田式浄化療法(MOAインターナショナル)
手かざし(世界真光文明教団)
手かざし(崇教眞光)

元々は岡田茂吉が大本の宣教師であった時代に、
大本の鎮魂帰神法による病気治療を行ったことを起源としていまして、
実は初期は手で触ったり、息を吹きかけたりと方法が異なっていました。
その後、色々な変遷を遂げた結果、現在の浄霊法が確立されたことが
正木晃「浄霊研究のための序章(2)」(『岡田茂吉全集』講話篇 第九巻付録)に
記されていますが、そちらをまとめますと以下の通りです。

第一期
①大本の鎮魂帰神法による浄霊
第二期
②「天津祝詞」を奏上し合掌したのち、指頭で患部を圧し、掌でさすり最後に息を吹きかける
③相手に掌をかざしながら天の数歌「一二三四五六七八九たりや…」を三回口の中で唱え祈る
④相手から少し離れ、自分の指頭で「この中浄まれ」と書いたり、言霊の力を併用(頭痛の人には「この者の頭の痛み去れ」と言葉を発する)して息を吹きかける
⑤合掌し祈ったのち、息を吹きかけながら掌をかざす
⑥白扇に「万霊を浄めて救ふ此扇」と揮毫し弟子に「御手代」として授与、弟子は御手代を金襴の袋におさめ病人の患部にかざし霊を浄める(1929年4月~1935年5月)
⑦「光」と揮毫した肌守りの「お守り」を信徒に授与
⑧「おひねり」を信徒に授与
第三期
⑨患部から約5センチの距離で掌をかざし、掌をかすかに左右に振る
⑩弟子たちは、指頭あるいは掌を患部に向け、体に触れるか触れないか位の位置で、掌をわずかに左右に振る
⑪日本医術講義録にもとづく講習を行い、受講修了者に「治療士」の資格をあたえ、「治療観音力」または「治病観音力」と書いた御書をお守りとして授与(1935年6月)
第四期
⑫講習とお守りの下付を弟子に委任、お守りの文字が横書きの「光明」に変更、お守りは普段は桐の箱におさめ、浄霊取り次ぎの際に首にかける(1941年2月)
⑬お守りの文字が「光明」から「浄」に変更(1946年2月)
第五期
⑭「治療」を「お浄め」と改称、お守りの文字が「浄」から「光」に変更(1927年8月)
⑮身体に一切触れず、約10センチの距離から掌をかざしわずかに左右に軽く振る方法に変更
⑯お守りが「光」から横書きの「浄」「浄力」「大浄力」に変更(1948年2月)
⑰「お浄め」を「浄霊」と改称(1948年6月)
⑱横書きの「浄光」「大浄光」のお守りを出す(1949年)
⑲「浄霊法変わる」の論文を発表、相手から約30センチから掌をかざし、掌は動かさない「神霊を放射する浄霊法」が確立(1950年12月)
⑳お守りが縦書きの「光」「光明」「大光明」に変更(1951年7月)
㉑浄霊法は手を振るわせないとの教示(1951年9月)

今の浄霊のやり方は1950年12月に決まったのですね。
ご参考になれば幸いです。

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