こんにちは、HIROROです。
今回は岡田茂吉文庫の第64回目としまして、
『渋井總斎伝 御用の人』について解説します。
前回の『口伝 渋井総斎 御用の人』は口述ベースでしたが、
こちらは編年で仰々しく書かれた伝記となっています。
ちなみにタイトルは前回:「総」、今回:「總」となっています(※HIROROの誤記ではないです)。
内容につきましては、渋井総斎の生涯がしっかりとまとめられていまして、
新宿の角筈(つのはず)で洋服店を営んでいて、当初は解脱会(げだつかい)に入信していましたが、
1938年(昭和13年)に岡田茂吉の特別講習を受講し入信を決意したことなど詳細が記されています。(52歳の年)
またその後は、洋服店で得た巨額の利益の大半を岡田茂吉に献金し
本書のタイトルにもなっている「御用の人」として支えました。
例えば、雌伏期における名跡巡回や教団施設の購入資金、
また玉川郷(宝山荘)の五島慶太との裁判においては裁判費用・弁護士費用などの一切を
渋井が負担していたことは本書を読むまでHIROROは全く知りませんでした。
なお、「御用の人」につきましては、本書で次のように定義されています。
”御用”とは神の理想とする真・善・美が具わった世界を地上に実現するためにある。
それは浄霊により病み悩む人を救済し、神様への奉仕、献金等によって御神業に
たずさわる信仰者のあるべき姿をいうのである。(本書5ページ)
大本時代からの弟子であった木原義彦や中島一斎とは異なり、
渋井は遅れて入信しましたが、御用の凄さ(献金だけでなく浄霊力の強さも)で
岡田茂吉が箱根に移った後の宝山荘を任されるなど他の高弟をごぼう抜きしました。
そのため恨みも多く買ったようで、法難時に逮捕され教団要職から外されたことを機に
教団史からもほぼ抹殺された状況でしたが、本書の刊行で見直されて本当に良かったです。
こちらも絶版となっていて入手性が悪いですが、メルカリやヤフオクで見つけたら即購入しましょう!
①タイトル
『渋井總斎伝 御用の人』
②著者・編者
世界救世教伝道史編纂委員会
③出版社
世界救世教出版部
④出版年月
1995年12月
⑤サイズ
A5版
⑥頁数
268頁
⑦目次
はじめに(世界救世教相談役 勝野政久)
第一章 御用の人
第一節 明主様に仕えるということ
無私の精神、身をもって示した御用
美術品購入の御用
献金
教団施設の整備
小さな御用
”すべて”を捧げるということ
焦らず、怒らず、怠らず
第二節 總斎の行なう浄霊力
總斎から学ぶ
電話で診断
弟子を救う
集団浄霊
切れ味鋭い浄霊
先祖供養の浄霊
厳しい顔・優しい顔
總斎の人間愛
浄霊という”お道”
第三節 新宿・角筈時代の布教
殺到する患者たち
絶え間ない浄霊活動
奇跡が生んだ忘れ物
戦時下の弾圧
人材の育成
第四節
開拓布教
拠点づくり・人づくり
弟子の派遣
布教の”力”
布教の前線で
埼玉県越谷での浄霊
總斎の布教魂に学ぶ
第二章 教団草創期の渋井總斎
第一節 明主様・岡田茂吉師との邂逅
出会い
母の浄化が契機に
總斎の修業
入信
第二節 渋井總斎の前半生
出生、そして家族のこと
海外渡航・日本放浪
總斎の霊能と先見性
御用のための桐の板・金襴の購入
「大内会」の結成
明主様とのご旅行
「日の出会」から「五六七会」へ
第三章 渋井總斎の晩年
第一節 教団の中枢を担って
明主様、箱根へー宝山荘の新しい主・渋井總斎
宝山荘での御用
「浄化療法普及会」
「日本観音教団」発足
「日本五六七教会」
陰徳の御用(法難前夜)
「世界メシヤ教」
熱海の大火
法難
判決
一布教師として
「宝生教会」の設立
第二節 總斎・渋井總三郎の帰幽
遺言のこと
浄化
病状一変
總斎の帰幽
御供仕え
渋井總斎 年譜
あとがき
イラスト:きーろ様(Twitter*@ki_ro_iroiro)
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