こんにちは、HIROROです。
今回は岡田茂吉文庫の第52回目としまして、
江川勝利『明主曼陀羅』第一部下巻を取り上げます。
(前回の第一部上巻の続きとなります)
解説の前に一つ断っておきますと、
本書の刊行は1997年ですが、収録されています内容は
前回もお伝えしましたように浄霊医術普及会の発行する会誌「光友」に連載されたものでして、
かなり(20年以上)遡ると推察されます。
何が言いたいかといいますと、書かれている内容が若干古く、
例えば、「岡田茂吉翁の伝記は、昭和三十年九月一日づけで、当時の世界救世教の
本部であった(熱海市田原町一一二)から発刊された「救世の光」と題した一書あるのみで(中略)
出版されるどころか、編纂に着手した様子さえも無い」(本書上巻1~3ページより引用)
と1983年刊行の『東方之光』上下巻が出されていない体となっています。
時系列でまとめると次のようになると思われます。
「光友」の連載(1980年以前?)
↓
『東方之光』上下巻刊行(1983年)
↓
『明主曼陀羅』刊行(1997年)
そのため、岡田茂吉は一人っ子だったという古い定説を出してきて、
「父、喜三郎、母、トリとの間にできた、虚弱な一人児という事が、信者のみならず、
新宗教研究家の間でも定説となっている」(本書下巻165ページより引用))
実は姉・エイと兄・清兵衛がいたという内容になっています。
一方で『東方之光』では姉・志づ、兄・武次郎がいたことは明記されており、
姉・兄とも本書と名前が異なっていますが、少なくとも1983年時点で「定説」では無くなっています。
ちなみに以前取り上げました『庶民の神々』(1955年刊行)では確かに一人っ子と書かれていました。
(「そこへ一人子の茂吉が出来たのだ」(176ページ)、「一人子でもあるので、無理をして高等科へもかよわせた」(177ページ))
さて前置きが長くなりすぎましたが、
江川勝利氏は本書で岡田茂吉に関するいくつかの新説を提示しています。
また従来の研究には無い視点で記された興味深い記述もありまして、
この姉に関わるものもありますので数点紹介してみたいと思います。
①岡田茂吉が光琳堂開業にあてた父の遺産三五〇〇円は実際は姉から得たものだった
岡田茂吉の父・喜三郎は1905年に亡くなりますが、遺産の三五〇〇円で岡田茂吉が光琳堂を始めたことは通説となっています。
一方、本書では姉が料理屋で仲居として働いていた折、L・H氏(市長、国会議員を務めた人物)に想われて
資金一切の面倒をみてもらい築地で待合を開業したが、三五〇〇円は姉が待合を処分して得たお金と推測しています。
②旭ダイヤモンドは爆発的に売れたもののトラブルが多かった
旭ダイヤモンドを製造委託に出した人から訴えられたり、汚れが目立ったりと、実はトラブルだらけだったようです。
「旭ダイヤの特許名義を自分の名に変更せよと訴訟を起こし、材料を無断で持ち去ったからと、
強窃盗で岡田社長を告発した、林なにがし」(本書下巻207ページより引用)
「旭ダイヤの特徴である長所でもあり欠点でもあった細かいヒビ割れ部分に、
埃や手垢がつくと黒くなって、ベンジンで拭いても落ちず、きたなくなるというマイナス面が
知られると、売り上げが漸次落ちてゆき」(本書下巻210ページより引用)
③霊写真を撮った東光男氏にたまたま会って糾弾した
岡田茂吉の後ろに千手観音が映った写真を撮ったことで知られる東光男氏ですが、
その後この写真は二重写しをしたトリック写真であったことを本人が暴露しています。
江川勝利氏はたまたま紅マンジ会の講演会で東光男氏が話しているのを見かけ、
その場で糾弾しました。興味深い内容ですのでこちらは次に引用します。
「メシヤ教も一枚看板のお光さんが死んだので、中味のない形ちだけのものに成るだろう。
岡田教祖の事を、何んでも見通している生きた神様のように信者は思っているが、
それはとんでもない買い被りというもので、生身のただの人間にすぎず、神幽界のことから
現実世界のすべてを、知り抜いている人間など居る訳もない。
お光さんが鬼の首でも取ったかのように大喜びした霊写真。観音さまを二重写しにしたり、
龍神らしきものの姿を、彼の姿にダブラセて喜ばさせたのは私で、あんな簡単な、
誰でも知っている事を知らず、有頂天に喜んだ男が生神様と崇められているんだから、
世の中甘いもんです。その流儀でいへば、私などは神様製造家と云われていいだろう」
私の耳に残っている彼の話は、岡田教祖の棚おろしだけで聞くにたへず、
怒りがムクムクと腹の底からこみ上げてくるのだった。
「こらアズマ=貴様が岡田教祖をペテンにかけた恥知らずの男だという事は、
すでに天下周知の事だ。恥を知れ、恥を=写真の事を知らない素人を瞞して
いい気になっているペテン師の貴様こそ、其の罪を天下に謝すべきであるのに、
反って自慢らしく吹聴するとは何事か。貴様のような恥知らずが、信者の中にいるというだけで、
紅マンジ会が批判されても仕方があるまい」(本書下巻274ページより引用)
④鉱山経営はボロボロだった
一応『東方之光』でも触れられていますが、実際は大失敗だったようです。
こちらも該当箇所を引用します。
教祖が関係した山は、山形、新潟、秋田、岐阜、群馬の五県に亘っているが、
どれもこれも採算取れず総計では二億とも三億ともいわれる大金を注ぎ込み、
目が覚めた時は群馬の水上鉱山一つ残すのみで、それさえ駄目と見切りをつける
大惨敗であった。信者にして山の現場歩きをした人は、岡庭兄弟、旅宿湊屋の息子と
清水清太郎の各氏のほか、秋田鉱専卒と自称していたが、実際は鉱夫でしかなかった、
との評もある小野田松造達であった。(本書下巻441ページより引用)
以上がHIRORO的に気になった箇所でした。
機会があれば是非とも全編を読んでみてください。
①タイトル
『明主曼陀羅』第一部下巻
②著者・編者
江川勝利
③出版社
世界浄霊会
④出版年月
1997年6月
⑤サイズ
A5判
⑥頁数
454頁
⑦目次
霊界物語(一)
大本、教義を改める
序
霊山修業
霊界物語(二)
霊主体従
霊界物語(三)
八衢と幽庁の審判
霊界物語(四)
神界旅行の巻
霊界物語(五)
霊界の情勢
日月地の発生
霊界物語(六)
大地の修理固成
霊界物語(七)
ヨハネ、キリスト、乙姫
神々の霊界
聖師の余技、明主の余技
明主の書と画
教祖明主様の御筆技について(一)
教祖明主様の御筆技について(二)
聖師渡満とその後
不敬罪
爪の跡
大本の終末観
垣間見(一)
垣間見(二)
垣間見(三)
岡田商店
岡田商店と経済不況
挽歌=転身
松風荘
浮魂の戒め
神命自覚(一)
神命自覚(二)
神命の自覚と教説
弥生さんのこと
愛善新聞
左進右退の教説
愛善新聞と信者達
暗黒の時代(一)
暗黒の時代(二)
闇から光へ
宗教界の状勢
夫人マンダラ
受難
玉川郷
宝山荘時代
観音講座
病気及び絶対健康法の原理
絶対健康法
鉱山経営
往時茫々
イラスト:きーろ様(Twitter*@ki_ro_iroiro)
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