今回は岡田茂吉の生涯を1分で解説します。
本来であれば『東方之光』上・下巻(約1200頁)を超える内容ですが、
ポイントだけ整理すると3点にまとめられます。
1.大きく4時期に分類される
①青年期(1882~1904) 0~22歳
②事業期(1905~1919)23~37歳
③大本期(1920~1934)38~52歳
④立教期(1935~1955)53~72歳
2.④立教期は更に3つに区分される
④-1 法難期(1935~1940)53~58歳
④-2 雌伏期(1941~1946)59~64歳
④-3 発展期(1947~1955)65~72歳
3.今の世界救世教の土台を作ったのは④-3 発展期のわずか8年間
■解説
岡田茂吉は1882年12月23日生、1955年2月10日没、72歳の生涯でした。
各時期の要点を一言で表すと以下の通りです。
①青年期(1882~1904) → 病気で苦しむ
②事業期(1905~1919) → 事業がうまくいかない
③大本期(1920~1934) → 宗教(大本教)に救いを求める
④立教期(1935~1955) → 自ら立教する
④-1 法難期(1935~1940) → 立教するも官憲の弾圧を受ける
④-2 雌伏期(1941~1946) → 充電期間
④-3 発展期(1947~1955) → 再立教し教勢を大きく拡大させる
■晩年
岡田茂吉は1947年に日本観音教団を再立教、
1948年に同教団の一分会が日本五六七会として独立、
1950年に日本観音教団と日本五六七会を解散し世界救世(メシヤ)教を発足、
1955年に亡くなります。
この晩年わずか8年間で今の世界救世教の土台が築かれたのがポイントです。
コメント
フムフム…(* ̄∇ ̄*)
髙橋さま
超簡単に整理するとこうなりますが、
「いやもっと言及すべきことがあるだろう!」
というツッコミはご容赦下さい^^;