こんにちは、HIROROです。
3月2日に幸福の科学の創立者である大川隆法氏が帰幽されたと報道がありました。
心よりご冥福をお祈りするとともに、御親族・教団関係者・信徒の皆様の安寧を祈念いたします。
岡田茂吉と大川隆法氏の共通点としましては、
ともに強烈なカリスマ性で教団を設立し、
多くの信徒を導いてきたところだと思います。
そのカリスマが失われた後の教団後継者は非常に悩ましい問題でして、
報道を見る限り大川隆法氏は後継者指名を行っていなかった模様です。
世界救世教も岡田茂吉没後にひと悶着がありましたので、
今回は両者・両教団を比較しながらソフトランディングの方法を模索したいと思います。
(余計なお世話かもしれませんが・・・)
さて、拙稿「岡田茂吉没後の世界救世教と分派教団」の中で、
世界救世教から分派独立するきっかけとなったのは
時期別に以下の4点だったと論じました。
①岡田茂吉没後の混乱(1950年代)
②教団一元化による混乱(1960~70年代)
③一九八〇年代の教団内紛(1980~2000年代)
④教主問題による混乱(2010年代~)
この①岡田茂吉没後の混乱(1950年代)で、
世界救世教の理事長をつとめた木原義彦氏が世界明主教(現・新健康協会)を立ち上げて離脱(1955年)、
また牧喜之助氏は救世主教を立ち上げて分派独立しました(1956年)。
木原氏と牧氏の両名の心の内は今となっては不明ですが、
世界救世教の二代目が岡田茂吉の後妻・岡田よ志に決まったことへの不満だった推察されます。
ここでポイントとなりますのが、実は世界救世教は血縁による後継は行っていないところです。
その後、三代目は岡田茂吉の娘(三女)・岡田齋、四代目は岡田茂吉の孫(次男・三穂麿の子)・岡田陽一と
岡田茂吉の血縁者が教主(教団トップ)となりますが、血縁という意味では二代目で途切れています。
教団関係者・信徒の全員が納得し満足する後継者を決めることは実質的に不可能ですが、
一つの参考事例になるのではないかと思われます。
なお、世界救世教の二代・岡田よ志は教団改革を行いまして、
今となっては賛否両論がありますが、岡田茂吉の神格化を回避する施策を打ち出し、
(自ら揮毫した「大光明真神」を御神体にする、岡田茂吉を神の使徒・大天使(エンゼル)とする、など)
教団が社会から孤立しないように努めたと評価されています。
その背景としましては、もともと岡田茂吉が説いた本質的な教えを理解しないまま、
薬毒論や農薬肥料不使用で対立や争いを起こすなど社会問題がたびたび発生していたため、
教団創立者である岡田茂吉が亡くなった後は更にそれらが暴走することを恐れたものと推察されます。
岡田茂吉のみ教え・論文の大半を見られなくした、と批判もされましたが、
長い歴史でみますと、教団存続のために一拍置いたとも捉えられますので、
幸福の科学が今後どのような展開をみせるのか大変興味深いです。
取り急ぎ、思いつくままに書いてみました。
あまり一考察になっていないかもしれませんが^^;
コメント