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世界救世教 聖地いまむかし(箱根・神仙郷編)

論考
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こんにちは、HIROROです。

今回ですが、いつもお世話になっておりますT様から頂きました
『聖地参拝の栞』(世界救世教宗務部、1964年)の巻末付録図より、
1960年代当時の聖地と現在の聖地を比較したいと思います。

今回は箱根・神仙郷の比較を行いますが、
現在の地図は東方之光ホームページをご参照下さい。

HIROROが気になったポイントは以下5点です。

①光明神殿が無い
光明神殿は1971年に完成しましたので、1964年当時は「光明台」のみ記載されてます。

②光明台の中に道があった?またそのつきあたりに萬屋(売店?)があった?
こちらは詳細が不明ですが略図を見ますと
今の光明神殿があるあたりを二分する道(ケーブルカーと並行)があったようです。
またその道のつきあたり(現在は駐車場となっています場所)に
「萬屋」(売店?)があったようです。

③祖霊舎の場所に今は箱根研修棟がある
そもそも「祖霊舎」という呼称だったことも初めて知りましたが、
「光明台の近くにあり、教団信者の祖霊をはじめ、世界各国の
戦争犠牲者もあわせてお祀りしてあります」と本書で解説されています。
こちらは次の④紫微宮の場所に移り、現在は世界救世教の箱根研修棟があります。

④大観荘の場所に今は紫微宮がある
「大観荘」も聞きなじみがないのですが、現在は紫微宮がある場所です。
ちなみに紫微宮はこれから建て替えの工事が行われます。
建て替え工事はもともと感謝祭などで聞いていましたが、
祖霊殿(仮称)だったのが正式に「紫微宮」に決まった際は親近感がありましたが、
もともと「祖霊舎」であったのであれば「祖霊殿」という呼称は一体どこからきたのでしょうか…^^;

⑤公園上駅隣接の現在のカフェレストラン旬幸は無かった?
この略図中では世界救世教の関連施設には名称がふられていますが、
公園上駅の側にある建物(×3つ)には何も書かれていないため、
当時は世界救世教のものではなかったのかもしれません。

以上、1964年当時と現在の比較でした。
なにぶん60年近く前ですので情報が不足しており
不明瞭な解説となりまして申し訳ございません(>_<)

次回は熱海・瑞雲郷の比較を行いたいと思います。

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