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梅原正紀・福岡甲兒『世界救世教の新生を求めてー信仰の原点から探るー』(@岡田茂吉文庫)

岡田茂吉文庫
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こんにちは、HIROROです。

今回は岡田茂吉文庫の第46弾としまして、
梅原正紀・福岡甲兒『世界救世教の新生を求めてー信仰の原点から探るー』(南斗書房、1985年)をとりあげます。

本書は宗教評論家の梅原正紀氏と教団職員の福岡甲兒氏の対談という形式となっています。
福岡甲兒氏はその後も「宗教の原理」や『たまきはる言葉』(世界救世教出版部、1994年)などの著作を出され、
虎谷久雄・佐藤二三男『福岡甲兒著作集』(虎谷久雄、2021年)などあります。

内容につきましては、当初は新生教団(現・世界救世教いづのめ教団)のPR本かと思いましたが、
実際に対談が行われた1984年末の教団混乱期の中で、真剣に教団や宗教のあるべき姿や
専従者の姿勢について考える非常に熱い内容となっています。

気になった箇所を数点引用させて頂きます。

 世界救世教に限らず、大型化した教団に共通する悩みだと思うんですね。
 若手の教団官僚が、たいした布教体験もないのに布教現場の責任者になっていくという
 事態が出てきて、彼らが説く教えは、単なる教養論になったり、耳ざわりのいい道徳論で
 終わってしまう場合が多い。涙の重さや、生活者の苦しみ、痛みを知らない人が
 布教現場の責任者になって、指導して教えてあげるという状況が出てきています。
 (同書26~27ページより引用)

 初期には多くの人を救ったという人は、ある意味で畏敬の念で見られていた。
 そういうものが教団には存在していたんです。ところがだんだん歴史が経っていきますと、
 宗教的に本当に人を救ったという人の影が薄くなってきた。本当にあの人は人を救う
 ご浄霊の力があるという人の存在というのが薄れてきた。とにかく組織的に階級が
 上になるのが、すべてに上なのだという展開が生まれてきて、だんだんそうなりつつある。
 そうなると若い人は、それしかないから染まり易い。結果、宗教性への関心は失われていく。
 (同書28~29ページより引用)

 教祖がなくなり二代、三代を経て来ますと、教権というものが確立されてゆかないと
 だんだん教団の権威というものが薄れてくる。そういうのがいろんなところに
 特に専従者、教師といわれる人に影響を与える。どう影響を与えるかと申しますと、
 二つあるのですが一つは信仰心の土台をなす畏敬の心を失うことと、
 もう一つは教師、専従者の権威をも失わせるという結果を招くのです。
 (同書74~75ページより引用)

本書は再建派と新生派の対立が決定的となった1986年4月16日の理事会前に出された本のため、
再建派を非難するような罵詈雑言は無く安心して読める内容となっています。

入手性はかなり悪いかもしれませんが、
今から40年ほど前に交わされた真剣な議論に触れられたい方は
是非とも読んでいただきたい一冊です。

①タイトル
『世界救世教の新生を求めてー信仰の原点から探るー』

②著者・編者
梅原正紀・福岡甲兒

③出版社
南斗書房

④出版年月
1985年1月

⑤サイズ
新書版

⑥頁数
110頁

⑦目次
はじめに 小山田勝民
宗教・教団とはなにか
豊かな布教体験を持つ専従者を
信徒の願いとあるべき所長像
よき信仰体制の復権を
信仰改革とはなにか
教主教権の確立・中心帰一の信仰
現世利益を起こしうる力
あとがき

イラスト:きーろ様(Twitter*@ki_ro_iroiro)

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