こんにちは、HIROROです。
今回は光悦会というお茶会に岡田茂吉が参加した記事を取り上げます。
(実際にはお茶会開催前日に道具を拝見したようですが…)
光悦会とは本阿弥光悦の遺徳をしのんで、毎年十一月に洛北鷹峰の光悦寺で行われる茶会で、
東の大師会とともに、数寄者界の二大茶会として知られます(『角川茶道大事典』)。
まず『岡田茂吉全集』別巻の岡田茂吉年譜の1953年に以下の一文が見られます。
11.11 大阪毎日会館で講話。京都光悦寺光悦茶会を楽しむ
こちらは『東方之光』など他の書籍では見当たらないため困っていたのですが、
数年前に別件で黎明教会資料研修館に調査に行った際、
館長様から「栄光」紙に記載があることをご教示頂き無事に発見できました。
「栄光」第235号(昭和28年11月18日発行)より引用
こちらは松井生氏の「明主様京都別院におなり遊ばさる」という署名記事でして、
該当部分を文字に起こしますと以下の通りです。
十一日には午前九時春秋庵をいでまして、御車を一路大阪へと急がせ給い
十時過ぎ毎日会館に御到着、多数信者の熱烈なる歓迎をうけさせられて
講場に溢るる信徒に向い、大要京劇に於けると同趣旨の御講話を下し賜われたのであった。
御講話約四十分間、終って堵列お見送り申し上げる信徒諸君に御会釈を給わりながら、
吉兆料亭に趣かせられ、そこにて御昼食をすまさせ給い、午後二時過ぎ鷹峰の光悦寺に
御立寄りあって翌十二日翌々十三日の二日開催される光悦茶会の、東京席、名古屋席、
京都席、大阪席を一々御覧、東京席の牧溪の瀟湘八景の内晩鐘及び光悦作畠山氏所蔵の
兎を特に御賞讃遊ばされたのであった。
一方、光悦会の方の記録を見てみますと、
確かに昭和28年(1953年)の11月12日、13日に
京都・名古屋・大阪・東京の世話人の4席が行われています。
『光悦会の歩み』(財団法人光悦会、1983年)249~250頁より引用
東京世話人の薄茶席の床に「光悦扇面月ニ兎画賛」が、
本席の床に「東山御物 牧溪 遠寺晩鐘 瀟湘八景ノ内」が
懸けられたことが分かります。
岡田茂吉が関わった茶会記は少ないため今回取り上げてみました。
ご参考になれば幸いです。
イラスト:きーろ様(Twitter*@ki_ro_iroiro)
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