こんにちは、HIROROです。
ちょっと本業と子育てが忙しく、更新が途切れ途切れとなりました。
体が資本ですので無理をしないように頑張ります・・・。
さて今回は岡田茂吉文庫の第十四回目としまして、
千宗守編『新修 茶道妙境 愈好斎聴松宗守居士二十七回忌記念』を取り上げます。
一見、岡田茂吉とは関係なさそうな本ですが、
岡田茂吉と親交があった茶道の武者小路千家 第12代 愈好斎聴松宗守(千宗守)の
二十七回忌を記念して発行された本でして、一部岡田茂吉についても出てきます。
千利休の子孫は表千家・裏千家・武者小路千家の3つ(三千家)に分かれていまして、
この三千家の一つの武者小路千家の第12代が愈好斎松宗守です。
愈好斎は東京帝国大学を卒業したエリートで武者小路千家の再興に尽力された方です。
愈好斎と岡田茂吉の交友については別の機会にとりあげたいと思いますので、
今回は本書で出てくる岡田茂吉に関する内容をピックアップします。
まずは第一部の林屋辰三郎氏の「愈好斎宗守居士の横顔」です。
ちょっと長文となり申し訳ございませんが、興味深い内容なためそのまま引用します。
昭和五十四年、愈好斎宗守居士の二十七回忌が営まれる年の正月十三日から二月四日まで、
京都国立博物館において救世熱海美術館名宝展が華々しく開催された。三週間の会期の間に観
覧者十四万五千という記録的な盛況を呈し、京都市民の絶大な人気をさらった。
その理由は、同美術館が所蔵する国宝三点、重要文化財五一点を含む二、〇〇〇点に及ぶ文
化財のなかから、国宝、重要文化財四六点を含む一六七点をえりすぐって出陳されたことだが、
その文化財が大部分第二次世界大戦後の社会混乱期に、あるいは海外流出、あるいは分断散逸
の危機をのりこえて、初代メシア教教主の手によって収集保存されたものであり、また多くは
京都に生れ京都で育った文化財の初公開の機会でもあったからである。最大の呼物となった尾
形光琳筆紅白梅図屏風、野々村仁清作色絵藤花文茶壺などの国宝は、前者は京都での初公開で
あり、後者は昭和十五年いらいまさに三十五年ぶりの里帰りでもあった。
いま、名宝展を終えたばかりの感激も加わってのことであるが、何故愈好斎宗匠の横顔をえ
がくのに、熱海美術館を引合いにだしたかと言えば、終戦のその年いらいこの美術館の建設に
最も熱心に参劃されたのが、ほかならぬ愈好斎宗匠であったのである。同美術館に茶器も多く、
今回の名宝展にも多くの名器が出陳された。それらが一宗教人の鋭い感覚の上に、愈好斎宗匠
のその道からの鑑識が加わっていることは、あまり多くの人に知られてはいない。宗匠五十七
歳のことである。現有隣斎宗匠も、開会式に来て下さった。さまざまな美術品が、年代をのり
こえて過去と現在とをつなぎ合わせているような思いであった。
救世熱海美術館は今のMOA美術館の旧称です。
国宝の紅白梅図屏風と藤壺を貸し出したとのことで、
本館の展示が心配になりますが(休館にしたのでしょうか)、
ものすごい反響・集客があったようですね。
もう一点は年譜の中に二代教主・岡田よ志の稽古風景の写真があります。
(同書、264頁より引用)
部分的ではありますが岡田茂吉に関する記述があるため取り上げてみました。
この他にも武者小路千家関係の別の本にも岡田茂吉が出てきますので、
後日とりあげたいと思います。
①タイトル
『新修 茶道妙境 愈好斎聴松宗守居士二十七回忌記念』
②著者・編者
千宗守編
③出版社
創元社
④出版年月
1979年5月
⑤サイズ
A5版
⑥頁数
270頁
⑦目次
序にかえて 千宗守
第一部 愈好斎ーその人と事績
千愈好斎先生・・・今泉篤男
愈好斎宗守居士の横顔・・・林屋辰三郎
愈好斎宗匠を偲ぶ・・・久田宗也
愈好斎の茶室書・・・岡田孝男
『愈好斎日記』抄・・・熊倉功夫
松風を聴く・・・千澄子
第二部 愈好斎を語る
座談会 若き日の愈好斎を語る・・・辻坂寿賀・小野摂龍・千宗守
座談会 芦屋での愈好斎・・・竹田義蔵・竹田郁子・千宗屋
第三部 茶道妙境
お茶の水
颯々
筆妙無尽
回想趣味
空腹と月
食器滅失
風与憶記
愈好斎聴松宗守居士年譜
あとがき・・・千宗屋
イラスト:きーろ様(Twitter*@ki_ro_iroiro)
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