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世界救世教に影響を与えた? 謎の人物・竹内崇元(竹内孫一郎)について

論考
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こんにちは、HIROROです。

今回ですが、タイトルの通り竹内崇元(竹内孫一郎)氏についての論考です。

なお、宗教研究家の武田崇元氏とは別人物ですのでご注意下さい。

まず、竹内崇元(竹内孫一郎)氏につきましては先行研究は一切なく、
これまでネット上で真偽不明な情報が取り上げられてきただけです。
ちなみに管見の限り次のような記事が確認できます(※正しいかは別として)。

■ネット情報
・二代教主 岡田よ志の時代から世界救世教に出入りしていた霊能者
・東京大学文学部卒で同学部の大石秀典氏(新宗連の初代事務局長)が世界救世教に紹介した
・「岡田茂吉は神ではない」と二代教主に伝え、その結果、教団名称や御神体が変更された
・秀明教会(現・神慈秀明会)と五光教会(救世神教→現・ミロクコミュニティ救世神教)の離脱を指導した
・研修で救世神教に来ていた中島多加仁氏がたまたま後藤英男氏(救世神教の管長)の日記を見てしまい、
 そこに小山荘吉氏(神慈秀明会)と一緒に相談に行ったところ離脱を指示されたことが記されていた
・ミロクコミュニティ救世神教では離脱を指示してくれた大恩人と教えられている

このように大変怪しい人物なのですが、
先日の岡田茂吉文庫で解説しました『谷元先生 求道と伝道のご生涯』上巻下巻
普通に竹内崇元(竹内孫一郎)氏の名前が登場したため、とても驚きました^^;

そこで今回は同書から判明しました竹内崇元(竹内孫一郎)氏に関する新事実を紹介したいと思います。
なお、同書からの引用につきましてはミロクコミュニティ救世神教さまより許可をいただいております。

①ミロクコミュニティ救世神教と竹内崇元(竹内孫一郎)氏の関係は
 後藤英男氏の碑文に記されているなどオープンな事項

→ちなみに「崇元尊師トノ道縁ヲ得ラレ 一念奮起研鑽セラルヽ事有余年 新タナル経綸ノ展開ヲ感得セラル」
 と記されています(同書上巻巻頭部より引用)。

②大石秀典氏(新宗連)が後藤英男氏を竹内崇元(竹内孫一郎)氏に紹介した
 
→後藤英男氏が世界救世教理事時代に顧問問題などで悩んでいた際に新宗連の大石秀典氏に相談したところ、
 「すごい力を持ってみえる先生を紹介するから」と1965年大石氏に連れられて竹内崇元(竹内孫一郎)氏の自宅(東京都渋谷区松濤町)を訪問しました。

③世界救世教で大黒様のお祀りを止めたのは竹内崇元(竹内孫一郎)氏の指示であった
 (ただし教団には真意が正しく伝わらなかった模様)

→当時教団からは「大黒様を仕舞えという指示が出て」いたが、大石氏と竹内氏の会話を聞いていると
 どうもニュアンスが異なるように聞こえたため、翌日単独で竹内氏を訪問し再度確認したところ、
 竹内氏は教団には表でお祀りするのではなく裏の人目につかないところで
 長たる立場の人が一生懸命拝むようにと伝えていたことが判明しました。
 ※こちらは長文ですが次に引用します

 「昨日、大石先生とお話しになっておられた大黒様のお祀りの件について、
 どうしても納得が参りませんので、本日は非礼も省みずお伺い致しました。
 どうぞお教え下さいませ」と、谷元先生はありのままを正直に言上された。
 にこやかに谷元先生を迎えられた竹内師は「大黒様の祀り方について、
 教団の中ではどう言っているんですか」と、逆に質問された。
 「仕舞い込むようにとの指示が出ています」「エッ、仕舞い込む。仕舞い込むとは?」
 「はい、押入などに仕舞い込んでいます」「お祭りは?」「しておりません」「……」
 矢継早な会話が途切れて、竹内師は短い嘆息を漏らされながら「そうか!仕舞い込んで
 しまっているのか。私が引っ込めよと言ったのは、大黒様は表でお祀りして拝むよりも、
 裏の人目につきにくい陰にお祀りして、長たる立場の人が一生懸命拝むと、
 より大きなお働き・お蔭がいただきやすいということを言ったんだよ」と、
 谷元先生に真実を明かされた。(同書上巻233~234ページより引用)

④独立後も指導を受けていたが独立した1970年に竹内崇元(竹内孫一郎)氏は死去

→同書下巻(66ページ)によりますと竹内崇元(竹内孫一郎)氏は1970年10月29日に亡くなります。
 前日の28日には後藤氏に対して世界救世教が行った不服申し立てについて文部省への説明及び陳情を行うこと、
 また30日には鹿島神宮を参拝することなどを電話で指導されていました。
 その勧めのままに後藤氏は29日に文部省へ説明・陳情に行き、
 宿泊先の東京のホテル・ニューオータニで逝去を知らされました。
 翌31日の神葬式では後藤氏が代表して弔辞を奏上されたそうです。

この他、仏教研究家の林屋友次郎氏が『聖天信仰の手引き』という本に
追憶の項で「林家先生の信仰」を大石秀典氏が、「恩師をしのぶ」を竹内氏が記しています。

以上が新たに判明した内容です。大黒様の件などは大変興味深いですね。
まだまだ不明な点が多いので掲示板・明主様 一つの波紋3の方にも投げかけてみます(^^)

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