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岡田茂吉と小林一三

論考
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今回のテーマは「岡田茂吉と小林一三」です。

小林一三(1873年~1957年)は明治・大正・昭和期の実業家で、
阪急電鉄・阪急百貨店・宝塚歌劇団などの創業者として知られます。

小林一三について|公益財団法人阪急文化財団

また2015年にはNHKにて俳優の阿部サダヲさんが演じられました。

小林一三 | NHK 放送90年ドラマ 経世済民の男

岡田茂吉と小林一三、この2人の共通点は実業家として成功し、
茶の湯(茶道)に関心を持っていたこと
です。

■岡田茂吉の小林一三評
まず岡田茂吉が小林一三のことをどう評価していたかですが、
こちらはちょっと酷評です(苦笑)。(※骨董・古美術商の話題の中で)

 その代わり良い物……これはというのがあると、
 一番先に私の所に持ってくる。値切らないからね。
 値切るところは一番後です。小林一三は三番目という
 綽名(あだな)になっている。
私の所に一番に来て、
 二番目が五島慶太、三番目が小林一三です。
 (『岡田茂吉全集』講話篇 第六巻、『岡田茂吉全集』刊行委員会、1998年、P.180)

「小林一三は値切るからケチだ」といったところでしょうか…。
ちなみに五島慶太は東急電鉄など東急グループの礎を築いた人物です。

■小林一三の岡田茂吉評
これに対する小林一三のアンサーは以下の通りです。
(実際に岡田茂吉の発言を聞いていたわけではないと思いますが…)

 信者の奉納金ゆへ惜し気なくドシドシ買集めるから無暗に値上りがするので
 私のやうなお金の乏しい買方は閉口する。
 (『小林一三日記』第三巻、阪急電鉄、1991年、P.485~486)

莫大な資産を稼ぎ出した小林一三が「私のやうなお金の乏しい」と言うのが面白いですね。
これには続きがありまして、この日記が書かれた昭和28年(1953)年9月3日に、
小林一三は岡田茂吉がいる箱根美術館を訪問したのです。

■小林一三が箱根美術館を訪問
先ほどの日記の全文は以下の通りです(重複してますがご容赦下さい)。

 九月三日 朝 まだ天気は本格的ではないがヤツト晴れたらしい。
 十一時斎藤平山堂君来訪、軽い食事を共にして、
 一時十分お光さんのお迎の自動車にて箱根美術館にゆく
 一階二階から三階の日本間に案内され美術品いろいろ拝見する、
 お光さん御夫婦同席、戦後これ丈の名器を買あつめた金力に驚く。
 信者の奉納金ゆへ惜し気なくドシド シ買集めるから無暗に値上りがするので
 私のやうなお金の乏しい買方は閉口する。
 二時お茶席山月庵にてお手製のおそばを頂き終つて
 お淡二碗を頂戴し広い庭園を案内されて五時すぎホテルに帰る。
 瀬津君が送つてくれた。斎藤君は五時半のバスにてカマクラに帰られた。
 冨士子来る、明日共に大阪にゆくのである。
 (『小林一三日記』第三巻、阪急電鉄、1991年、P.485~486)

箱根美術館で岡田茂吉(お光さん)夫妻と共に美術品を見て、
茶室・山月庵で薄茶二碗とお蕎麦を頂いたことが記されています。

この『小林一三日記』ではこれだけの記載ですが、
実は小林一三は日記の他に『大乗茶道記』という記録も記しており、
こちらの史料ではより詳しい内容が書かれています。

■小林一三『大乗茶道記』より
こちらの史料はかなり長いため前半部分を割愛してますが、
それでも以下の通り長文となってます(重ね重ねすいません)。

 館内を一巡の後お茶席山月庵に案内され、ここにて岡田教祖にお目にかかる
 教祖は七十歳の老齢であるけれど御壮健にお見受けした。トテモ書画骨董がお好きで、
 道具屋さんに取囲まれて『道具は好きだがお金がないので苦しい』というような、
 我々俗人の縄張りに生活するが如くの稚気愛すべき態度には驚いた。
 お手製の蕎麦の御馳走になり、それからおうすを頂いた。

 寄付 光琳団扇竜図
 本席 牧渓竹鳩図  唐物籠花入 初紅葉
 棚  貞観時代木彫十一面観音像
 水指 定窯刻文白磁
 茶入 光琳平棗   茶杓 遠州歌銘
 茶盌 堅手 銘薄紅葉
 替  祥瑞 乾山山水絵
  建水 砂張  蓋置 三人形
 菓子 栗きんとん  乾山菊、立葵中皿
 小間 後鳥羽院歌仙 斎宮女御
 花入 青磁瓢形 朝顔

 器物の取合せなどにこだわらないのが嬉しいと思った。教祖が普通のお茶に入って、
 我々俗人のするが如き形式に苦労する必要もなければ、大衆の信仰に、
 いやが上にも泰然として行動する、自然そのもののお茶の行き方を私は尊敬する。
 そして、新しい美術工芸品を利用する見識、そこに美術と生活の一致融合が生れる。
 これこそこれから日本に生れるべき新茶道だと考える。
 私は、岡田教祖が遠からず必ずお茶の世界に入って、衆と共に楽しまれるものと信じている。
 私は、その日にいろいろ拝見したその手控を繰返して見るのである。

 馬遠山水(岡山本蓮寺旧蔵国宝)
 梁楷寒山拾得(原家旧蔵)
 牧渓翡翠双幅(川崎家旧蔵)
 相阿弥寒山拾得
 宗達夕顔扇面
 金襴手盛盞瓶
 越州窯鳳凰文盒子
 鉅鹿大皿
 高麗台杯
 紅入安南平鉢
 カメリヤグリーン花瓶
 宣徳赤絵平鉢
 長次郎茶碗あやめ
 仁清竜田川茶碗
 仁清太鼓水指
 膳所光悦茶碗
 新兵衛遠山茶入
 井戸茶碗翁
 乾山大角鉢
 松哉夏雄合作硯箱
 夏雄銀布袋香合
 琅玕斎竹花入

 越州窯の盒子は、香合として使うとせば、藤田家の交趾大亀も足許にも及ばないだろう逸品。
 長次郎、膳所光悦の茶盌、新兵衛の茶入など実に天下一品の名器と思ったことで、
 忘れ難い悦楽の一日をなつかしむのである。
 (『大乗茶道記』、浪速社、1976年、P275~277)

「長次郎茶碗あやめ」は今もMOA美術館で展示されています。
この記事を書いていて気づいたのですが、
MOA美術館の展示品の一部は当然元々ホームページでも見られましたが、
この「あやめ」など更に一部の作品はそのホームページ中でYouTubeでも見られるようです。

MOA美術館ホームページ

尚、この『大乗茶道記』に記載されています美術品の一部につきましては、
『MOA美術館名宝集成』(講談社、1998年)に収録されています。
2冊組の大型本ですが大きな図書館であれば所蔵していると思います。

■岡田茂吉の小林一三評(箱根美術館訪問後)
先ほどの酷評は昭和27年(1952)年の記事ですが、
小林一三訪問後には、岡田茂吉は下記のようなことを言っています。

 この間も小林一三氏が来て、四時間ここにいて非常に喜んでいました。
 あの人はよそではたいてい五分か一〇分しかいないそうで、
 こういうことは例がないと、随行の人が言っていました。
 それで美術館以外の物も見せてやりましたが、よくもこんなに集まった、
 と言ってました。あの人は古くから買ってますから、数はあるので、
 量においては私なども負けます……。
 (『岡田茂吉全集』講話篇 第十一巻、『岡田茂吉全集』刊行委員会、1999年、P.90)

さすがに直に顔を合わせた後は少し謙虚になっていますね(笑)。
ちなみに訪問した際の写真も残っているようです。

『年史 箱根美術館40周年・MOA美術館10周年記念』(1992年、MOA商事)、P.13より引用

コメント

  1. 中村 幸 より:

    充実したブログにびっくりです。
    これからも、時折のぞかせていただきます。

    • HIRORO HIRORO より:

      中村さま
      コメント頂きありがとうございます。
      これからも内容を充実させられるよう頑張ってまいります!

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